深圳・南山で発生した痛ましい事件。報道や過激化するSNSのコメントから、多くの誤解や、憎悪の応酬に事件を利用されることを強く不安に感じています。
2002年から現在に至るまで、人生の節々で深圳・南山/蛇口を拠点に生活していたこともあり、あの頃の深圳の現地校と日本人補習校で学習していたリアルな体感や経験談、中国人同級生達の反応、当時の生徒目線で2007年に深圳日本人学校ができるまで・・・
深圳と日本の関わり、事件翌日に現場に足を運んだ母から見聞きしたことなど、混乱のなかうまくまとめられないまま話している部分も多く、深圳での生活もほんの断片しか話せていませんが、それでも少しでも広がっている印象とのギャップや実際の空気感が伝わればと願っています。心からお悔やみを申し上げます。
(編集後記)収録当時、うまく説明できていなかった部分を補足。
日本人学校と補習校:日本人学校は全日制学校、補習校は週末補習カリキュラムです。現在でも深圳日本人補習校は日本人学校とは分けて運営されているので、「母体」「前身」と言った表現は厳密には誤りです。
靖国参拝と愛国スローガンの幕:小学校4年生のGW明けに転入した当時、国威発揚・愛国スローガンの幕が掲げられていたと話していますが、当時は前年の夏から靖国神社参拝については政教分離の観点、政治利用の視点で国内外からの指摘も多いなか、転入直前の2002年4月21日小泉元首相の再参拝をきっかけに反映され幕が掲げられていたと推測します。日常的には「交通運動」「環境保護、ゴミ捨てマナー」「法律や条例を守ろう」のようなゆるい公的指導のスローガン幕が掲げられていることも多く、愛国スローガンはどちらかといえば外交緊張の局面で掲示されていたことは一点付け加えておきます。
丹東:北朝鮮国境の町→正確には北朝鮮に面した中国国境の町です。
今回感じたことは日を改めて、もう少し気持ちや内容を整えてから「当時・現地の日本への見方について」「愛国と歴史教育、反日教育」「狭間に生きる人々」「事件について」についてまとめたいと思います。