先月末にミュージカル「SIX」日本語キャスト版を観劇。
コロナ禍に目にしたTiny Desk ConcertがSIXとの出会いで、一目で虜になってしまった。
(少なく見積もっても再生回数の80回くらいは私が回したんじゃなかろうか。ロンドン塔編は60回くらい。)
英国テューダー朝、絶対権威のためには容赦なく王妃を切り捨てる暴君と称されたヘンリー8世を巡る6人の妃、彼女たちを現代のポップスターナイズドして、メインボーカルを決めるシングバトルを繰り広げる80分間。
かしましいあらすじと、特殊で尖ったミュージカルなので、実のところ来日公演自体も期待していなかったのが来日版、日本語キャスト版両方で展開すると発表された時は沸きっぱなしだった。
6人の妃と共にバックバンドの侍女4人が日本でも女性メンバーで当たり前に固められていたところもうれしい。繊細なこだわりに魂は宿ると考えているので、キャストなどの大枠だけでなく、細かい部分が日本版でも蔑ろにされず、とても大切にされていたことが嬉しかった。
私がこの物語のどこに掴まれたかと言えば、楽曲構成やキャストのハイレベルさはもちろんだけど、
「語られ難い存在や事柄を、自ら語る自由さ」だと思う。知らず知らずのうちに自己投影してしまうほどに。
私自身、ルーツの話や過去の話を偽りなく語れるようになったのは、ここ5年くらいの自分にとっては非常に大きな変化だ。20代前半までは息を吐くように先輩や同級生にも(差し支えない程度に)嘘をついたりして誤魔化すほど、10代の頃の自分自身にまつわる様々な部分は重荷になっていた。たとえ周囲が気にならないことでも、自分自身にとっては抵触され難い、繊細な問題として炎症を起こし続け、絡まっていた。12歳で計画を立ててから10年がかりで苗字を変えて社会人になったものの、それから数年経って、寄稿や様々な機会で自分の話を逆に“進んで開示する”ようになるとは思ってもいなかった。
“開示する機会”が来るたびに、今でも実は裏でかなり泣いている。
思い出すと辛い時期…フラッシュバックは当然として起こるし、胸を灼くような痛みを思い出す。10代半ばの頃は耐え難いストレスで解離性健忘を何度も起こすほどだったので、その前後の日々や原因を思い出すのはそれだけ自分にとってはハードな部分。
敢えてわざわざ掘り起こすのだからほぼ自傷に近い作業/時間にも感じるけど、でもあの頃と今で確実に違うのは、語ることで必ずどこかでカタルシスが訪れるということだ。絶対的に救われていく瞬間が自分自身の中で発生しており、話さないでいたからこそ、うまく話せなかった自分のことがどんどん解像度が上がって語れるようになり、つらかった時期と、それだけじゃなかった時間や生活が少しづつ融け合って、地続きに存在する今の自分をより確かに信じられるようになってきた。これはセラピーじゃないかな。
SIXで感じるカタルシスもそれにちょっと近い。明るいけど、明るくて良いのだ。
語ることができるようになるということの、実はとても嬉しいことだから。
悲しいことや辛いことを語る時、悲しい顔をしていなくても構わない。
「語られ難い存在や事柄を、自ら語る自由さ」
SIXを一緒に観劇してくれた友人とこれまた数日前、Maroon5の来日公演に出向いたのだが、
(見切れ席が発生したので前日にノリで「行くか!」と決まり、行ってみたら東京ドームの一塁寄りのホーム側。
言うほどの見切れ席でもなく、贅沢な時間を過ごせた。Sugarリリースから今年で10年なことにも吃驚。)
公演後に彼女とドームシティでお茶を飲みながら、
誰でも発信できるようになった分、自分の代わりに、言葉や夢を見せてくれるような代弁者が増えたこの時代で、
多かれ少なかれ「自己開示をする」という行為自体は意外と訓練が必要なことではないかな、という話になった。
私は今自己開示の弁膜が先述のセラピー重視になったことで、ある意味ガバガバになっている状態だから少し縁遠い状態だけど、対人関係や恋愛でも意外と「自らを語る」ということ、特に繊細な面やプリミティブな部分を語るのがうまくできなかったり、言語化する難しさが、即ち無意識的に親密な対人関係を築く弊害となって、ちょっとした回避型愛着パターンになったり、ある人によっては不安型になったりするんじゃないかな?といった話に進む。性差やコミュニティによってはコミュニケーションのパターンからなかなか“内々のことを直接的に”を話す機会自体が少ない状況から来ていることもあるかもしれないね。という話や、
「自己開示ガバガバ型」に「こんなに自己開示してくれるってことは、ひょっとして自分に気があるんではないか?」と関係性を見誤ってしまう人もいるよね。といった話題にもなったりなんかして。
そんな要領で、自分自身を(自分の言葉で)語らうこと、について最近あちらこちらに考えが及ぶ毎日です。それでは。
💛💚🤍オマケ❤️🩷💙
打首になったアン・ブーリンとキャサリン・ハワードが処刑されたロンドン塔でのフラッシュモブは多幸感がありながらも、ついつい泣けて泣けてしょうがない。500年前の彼女達の魂が現世でもどこかで揺蕩っていて、救われていてほしいなと、ファンタジーを信じて、祈らずにはいられない。
(日本版キャスト盤の音源化も期待しています。良い訳詞だった。スタッフ〜!!)