【Nostalgiaにて】掲載のお知らせ

世田谷区・三軒茶屋の書店twililightのウェブマガジンで、me and youなどでご活躍されている竹中万季さんの連載「Nostalgiaにて」第2回「小名木川クローバー橋で待ち合わせて」 の後編が公開されました。
後編では中国・深圳で暮らした日々について万季さんに取材していただきました。

🕯️twililight web magazine – Nostalgiaにて

第2回小名木川クローバー橋で待ち合わせて(2)
ぬかるみの道を歩き、見えないものを見ようとして 東京・住吉/中国・深圳
📷🖋️maki takenaka 竹中 万季

(前編はこちら)

深圳・南山区で暮らし始めたのは2002年から。当時はハイテク都市になる前、いたるところで道路の整備や高層ビルの開発の工事がされていて、日本人学校もなく、毎週末ホテル明華酒店の空きスペースを借り上げて開放されていた日本人補習校に通いながら、現地の小学校に通学していました。日本人補習校の生徒は私と弟を合わせて、十数人程度だったんじゃないかな。
(唐突に思い出したから走り書き…補習校授業が終わったあとに立ち寄っていた海上世界の万菜屋という居酒屋さんが大好きで、店内に置かれていたバガボンドを読みながら小口切りのねぎ、エノキがたっぷり乗ったおろしポン酢竜田揚げ定食を待つ時間…がお世辞ではなく本当に一週間で最も至福の時間だった!20数年経っても舌が味をよく覚えている。炒め納豆のレタス巻きや八丁味噌クリームチーズも美味しかったな〜。今度再現してみようかな。

その後、日本に帰国し、再び深圳の現地の中学校に通学、また戻って日本で中学高校に通い、国内での大学進学前に深圳大学に半年ほど在籍したり…と十代の節々で暮らしており、日本で暮らしているだけでは体感できないほど信じられない速さで景色が変容し続ける街を眺めていました。

自分が生まれたときから市街地として充分に成熟した東京と、加速度を上げながら21世紀型の大都市に発展していく深圳。そしてその隙間を縫うように接続していたインターネット。
生活の違い、歴史、文化、外交、帰属意識、他者からの目線…変化のやまない環境と、自己不全感が混ざり合いながら過ごしていましたが、深圳は私にとってはもうひとつの故郷のような場所です。

とはいえ、「深圳」は上海や北京、香港と違って新しい街なので、日本での知名度的には必然的に聞き馴染みのない都市だと思います。

万季さんには以前me and youの「同じ日の日記」で寄稿をした際に、そこで話題に上がった深圳についてもう少し深掘りをしてみたいとお声がけいただいたことによって今回の取材を受ける運びになりました。

そうして昨年夏に取材をしていただいた一ヶ月後、
深圳日本人学校に通っていた日本人の父親と中国人の母親を持つ日本国籍の男児が、刃物を持った男に刺殺される事件が起きました。
事件現場のすぐそばにある日本人小学校裏のコンドミニアムでも暮らしていた時期もあり、馴染みのある場所が繰り返し報道され、私や家族はひどく狼狽えました。
様々な距離感で深圳、或いは中国と繋がる日本人、日本と関わりのある中国の方も程度は異なれど、
事件から半年が経ち、犯人への死刑判決が出た今も、到底消化し難いショックを抱えていると思います。

同時にインターネット上であらゆる情報や言論がセンセーショナルに飛び交い、またこうして感情的で排斥的な言論が、マッチポンプのように発生・増幅していき、当事者側に立つ人や狭間に暮らす人達は緩やかに追い詰められていくのだなと感じていました。
本心ではずっと諦めてしまっている自分もいるけれど、同時に「諦めてしまっていた自分」たちがもっと立ち上がっていたら、あの子の命は奪われていなかったのではないか、とあの日から胸のつっかえは取れず、思い返すたびに激しい罪悪感に襲われ、突くような痛みを覚えています。

そして取材の内容上、日本や中国のナショナリズムにも触れずにいられないこともあり、非常に難しい状況なので、これは万季さんにとっても大変な覚悟が必要な取り組みになってしまったんじゃないかと、何度か、いっそ原稿をいただく前にこの取材はなかったことにした方がいいのではないか?と申し出をしようかと考えていました。

読んで頂けたら伝わると思いますが、万季さんが時間や心を砕きながら真摯に、とりこぼさずにまとめて形にしてくださって、私の「街と、そこで暮らした自分の記憶」を託した相手が万季さんで心から良かったと思っています。
語ることに忌避を覚えてしまいそうになったけど、「つらい時期もあったけれど、それしかなかったわけではないし、そうした時期にも生活はあった」ことを何度でも思い出して、抱きしめて、愚直に大切にしていこうと思います。
それが未来に繋がるように祈りながら。

よかったら、少しだけ時間をください。
第1回、第2回前編の江東区・住吉と合わせてどうぞ。


載せるようなものでもないけど、当時深圳滞在中だった母が献花に出向いたときに、絶え間なく花をたむけに訪れた人達のこと、周辺のいくつもの花屋から供花が消えたこと、9月の夜でも茹だるような暑さが続く亜熱帯のこの街で、保養も兼ねて路上に溢れた供花を校内に運んでいたこと、社会リスクを背負いながら個人メディアで発信するためにマスクをして、サングラスをかけて現場を記録していた方々のこと・・・そんな話を沢山教えてもらった。慰めにはならないかもしれないけど、ひとりひとりが覚えているからね、あなたのことを。